和食と香辛料の意外な関係 後篇
2010年06月06日
水匠(みしょう) at 18:00 | Comments(0) | 料理全般のハナシ
そもそも、香辛料・調味料・薬味。この言葉、どう違うのでしょうか?
味噌・醤油も調味料ではなく香辛料と言えば言えなくもないのです。
昔の京都では、若狭湾で取れた魚を味噌付け・醤油漬けにして運搬し、
腐敗を防ぎ、味を浸すという一石二鳥の方法が考えられました。
いわゆる調味料も意味的には香辛料としての使い方をしているのです。
また、刺身に使うワサビも生臭さを消して、味の奥行きを出すためという
理由で我々は日常的に香辛料を使用しています。
しかし、味噌や醤油を発酵系スパイスと呼ぶことは可能ですが、それ単体で味が
完成されすぎてしまっているので、これはやはり調味料と呼ばざるを得ません。
また、和食に多用されている、シソ、ワサビ、山椒などもハーブ系のスパイスとしての位置付けがわかりやすいですね。
そういう観点からみると、先日のブログの中で使われていた【ハーブ系スパイス】と【スパイシースパイス】の分け方が非常にしっくりきます。
で、やっと本題に戻れるのですが、和食は前者の【ハーブ系スパイス】との付き合いはすでに上手にできていると思います。なので、今回はこのスパーシースパイスとの付き合い方を和食と絡めるとどうなるのかが課題なのですね。
しかし、単純にスパイシースパイスを和食に取り入れるのが良いか悪いか
ということを論じるのは乱暴です。なぜなら、スパーシースパイスを、
いわゆる和食に取り入れるのは自然じゃないからです。
トウガラシは日本から韓国に伝来したにも書きましたが、
日本では流行らなかったトウガラシが韓国で流行ったのには、
何か理由があるはずです。この件に関しては詳しく知りませんが、
察するに当時の日本には肉を食べる文化がありませんでした。
韓国の肉食文化とトウガラシには必ず密接な関係があると思うのですが、
なんにしろ日本に肉食文化がなかった。
これが一番、スパイシースパイスと和食に縁がなかった原因だと考えられます。
もちろん、スパイシースパイスが日本人には合わないというのではありません。
カレーのようにそもそもがスパイシースパイス料理は非常に美味しい。
ある意味、もう、国民食です。
事実、胡椒は早くから日本にあったが、これはあくまで饂飩の薬味として
使われていたのが始まりです。一味、七味にしても、ちょっと取り入れるくらいなら
薬味としてのスパイスは和食に取り入れやすいかもしれませんし、
事実、当店でも黒コショウは頻繁に登場します。
たとえば、冬瓜と浅蜊を酒蒸ししたものに黒胡椒を効かせた出汁を張ってやると
非常にうまい。でも、やはり効果として考えるのはあまり邪魔にならないよう、
単一で使うということでしょうか。
どう考えても、一つ、頑張っても二つが限度。
これ以上入れると、うまみを引き出す和食にはならないと思います。
そう、和食の命、うまみを消す働きがあるのです。香辛料には。
正確には、隠してしまうと言いましょうか、ある味の奥にある
味こそが旨味なのですが、その手前に壁を作ってしまうのです。
スパイシースパイスの種類が増えれば増えるほど所謂、和食からは
離れて行ってしまいます。
しかし、先ほども述べたように流通革命により我々の食卓も劇的に変化しました。
米食からパン食への変化、魚から肉への流れ、海外から輸入される食材。
これは、こと香辛料だけの話ではないのですが
食材、調理法、料理に対するスタンス、飲食店のボーダーレス化。
今は全てにおいて過渡期・混迷期なんだと思います。
ほんの50年前までは食えればよかった
しかし高度成長期のおかげで収入が増えました。
そして、その欲求は我々の身近な食へと向かいます。
現在の中国・韓国を見てもそうですがだいぶ肉食が増えてきたようです。
しかし、身体の構造上、欧米人のように腸が発達していないアジア人は
それほど肉食にはなりません。寿命と食生活に関する調査では、
動物性たんぱく質と植物性たんぱく質のバランスは1対1が
最も良いようで、われわれの今のバランスは非常に良いのだそうです。
既にフランス料理にしても所謂、クラシックスタイルではなく
ソースを使わない料理や松嶋シェフのように素材の旨みを
引き出している人たちもいます。
それを踏まえると、
今後の道も何となく見えてきたような気がしないでもないですね。
たとえば薬膳料理やマクロビオティックのように、野菜の皮、
つまりえぐみの残る野菜のアクをあえて取り除かず
それを栄養分として体内に取り入れるという考え方があります。
その、あえて残したえぐみを消すためにスパイシースパイスを使うと言うのも
アリなのかも知れません。
これまでは、旨味を最大限に引き出すために
余分な物を排除していたという考え方から
あえて、余分なものを残し、
それを別のもので補う事が出来るかも知れません。
そしてまた、素材のクオリティーに、悪く言えば頼っていた和食を
少し大目に見て、多少のばらつきも個性だとして捉え、それを
表現する方法につながるかも知れません。
とまあ、長々と書いて結局答えが出たような出ていない締めなのですが
これは、これから先、ずっと悩み続ける事で
解決方法を探していくしかないのかもしれません。
今までの和食は和食として
スパイスを使った新しい和食の形を模索していくしかないのでしょう。
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