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料理屋でうまみ調味料を使うのは、アリかナシか?

2013年08月28日

 水匠(みしょう) at 19:17  | Comments(0) | 料理全般のハナシ


やっと、朝晩が幾分過ごしやすくなってきました。



南から吹く風が、秋雨前線とともに北向きに変われば
昼間は多少暑くても、秋がやってくるでしょうね。



さて、今日は面白い記事を見つけました。





ふりかけるだけでうまみを感じられる化学調味料は本当に体に悪いのか?








文中に、momofukuグループとありますが、みんなご存知カップラーメンの日清の創業者、安藤百福さんの血縁者






ではない(笑)David Chang(たぶん中華系の名前でしょう)さんが経営する会社のようですが、お店を見てみると、NOODLE BAR をやっている辺り、もちろん意識して付けた社名なんでしょう。



さて、話がそれましたが、以前このブログでも取り上げました。



旨味調味料は良いのか悪いのか、ということです。




当店では一切のうまみ調味料を使用していません。理由は二つ。1つは、うまみ調味料が正直体に悪いと思っていた事と、もうひとつが安易にうまみ調味料を使うことで考えることを止めてしまうことが怖いからです。一つ目の理由は今回の記事を読んで大分考えを改めるきっかけになりましたが、やはり今後も使うことは無いでしょう。2つ目の理由が有りますからね。


そりゃー、うまみ調味料使えば、お漬物やダシにチョットしたアクセントを加えて美味しく感じられるものが出来ると思います。そして、誰もそれがうまみ調味料入りの商品だとも思わないでしょう。



でも、安易に使えばあとは推して知るべしです。



僕は好奇心旺盛ですので、なんでもやってみなければ気が済みません。だから、試しに使ってみることは多いのですが、やはり本格的に使う前によく調べて使うかどうかを決めます。また、それほど意志が強い人間ではありませんので、そういうことを避けるためにあやしいものは使わないとみんなの前で公言しています。みんなの前で言った以上、使うわけにはいきませんからね。それもまた、自分なりの考えです。





人工知能「K.I.T.T.(キット)」を搭載して無人で走行可能、妨害電波を発して相手の電子回路を破壊、追いかける敵にはオイルをお見舞いしてスリップさせる、そして極めつけの「ターボブースト」で大ジャンプ……といえば、日本では1987年から放映されたアメリカのTVシリーズ「ナイトライダー」に登場するドリームカー「ナイト2000」です。今でもこのマシーンに憧れる人は多く、アメリカを中心にナイト2000を自らの手で作る人が存在しています。

たしか、ベースになっている車はポンティアックのトランザムっていう排気量だけが無駄に5000ccもある車だったと思います。







どうせやるなら、これくらい派手にカッコつけてみたいものですね。




では、また。


  

もっと大きい意味で食としてのポリシーを持っていないと、次代の子供たちに食べてもらえない

2013年08月22日

 水匠(みしょう) at 01:18  | Comments(0) | 料理全般のハナシ

 
 お陰さまで今年のお盆は精進弁当を沢山注文頂きました。


 その中で必ず使っているのが、生麩、です。


 当店では創業以来 京都 生麩作りの老舗「麩嘉」 の生麩を使っています。



 この時代に有って、相変わらずアナログな電話注文で

 冷蔵便で送ってもらうのですが、アナログにも理由があるのです。


 今日は、ネットで見つけた先代 小堀正次氏のインタビューを掲載してみます。




生麩作りの老舗「麩嘉」の創業年は、正確には不明。幕末の動乱期に一帯が火災に遭い、それ以前の経緯を示す資料類がいっさい、焼失してしまったからである。それでもながく京都御所の御用達をつとめ、その門鑑は残っていて慶応年間と刻んであった。

 そんななかで小堀氏は、むやみに「伝統」にすがりつくことを嫌い、時代の変化、嗜好の変化にも柔軟に対応できる生麩の商品化をめざす。生麩作りへの透徹した歴史解釈と執念とがなせるわざである。

昔は麩だけじゃなくて湯葉もこんにゃくもまとめて商っていたらしい

 もともと麩というのは、鎌倉時代の終わり頃に中国から伝わったといわれているんですけど、資料としてはっきり残っているのは、桃山時代の終わりの頃です。千利休が百会の茶事を催したときに、麩の焼というお菓子を取り上げているんですね。まあ実際は百回でなく七十何回でしたけど、ずっと麩の焼が菓子になっている。汁の中にも麩が何点か出てきます。たぶんそれまでは、お寺のもの、ごく一部でしか使われていなかった素材としての麩が、利休が取り上げたことによって少しグレードが上がって、それで一挙に市場に出てきた。麩屋もたくさんできた、ということだと思うんです。
 その麩の焼がどんなものだったのか、はっきりとは分かりませんけど、どうも生麩の上に味噌をつけてくるっと巻いて焼いたものらしい。京都に味噌松風というお菓子があるでしょ。麩の中に味噌をまぶして焼くと、味噌松風になるんです。ですから、たぶんその時点で、麩屋の技術から菓子屋の技術に移行していったんじゃないか、という仮説を持っているんです。いま麩屋町と呼ばれている通りも、この時代に白山通りから変わっている。ということは、当時はかなりたくさんの麩屋があったんじゃないか、と推測できるわけです。
 それと、この辺りは昔の楽市楽座の発祥地なんですね。で、この辺の店は麩屋もこんにゃく屋も、京都御所の御用達だったんです。ところが、御所の鑑札を見ると、麩だけじゃなくて、こんにゃくとか湯葉とかも入っているんですね。それにお寺なんかの得意先も多かったらしいし、結局、麩だけじゃなくて湯葉もこんにゃくもまとめて、ということで、全部作ったのかどうかは別にして、そういう商いをしていたらしいんです。そしてその中から、自分の店にいちばん合うものを残して、麩一本になった、と。ただ、この辺一帯は幕末の蛤御門の変で全部焼けてましてね。それ以前の資料は全部、消失しているんです。それで、いま残っている御所の門鑑に慶応とあるんで一応、慶応年間を創業ということにしています。
 うちみたいな商売は、世の中の流れによってずいぶん変わっていくんです。皆さんよく、江戸時代の素材としての麩がそのまま伝わってるんじゃないかと錯覚されますけど、そうじゃない。やはり昭和は昭和の、平成は平成の麩になっているんです。(中略)

日本中で同じ小麦粉を使う今、それをどうやって自分流にするのか

 麩というのは、ベースは小麦のグルテン。生地は同じなんだけれども、そこによもぎが入ったり、栗が入ったり、シナモンが入ったりと、あるいはあんを包んだりと、そうやっていろいろと形が変わっていくだけなんです。そういう意味では、種類は何百とありますよ。まあ、いま毎日作っているのは大体、四〇種類ぐらいですけどね。季節によっても違ってくるし、正月前なんかはもっと多くなります。
 原料の小麦ですか。昔は麩用に特別に挽いてもらったものなんですけど、いまはみんなパン用の小麦粉ですからね。極端にいえば、日本中の麩屋が全部、同じ素材を使ってるということです。他の素材にしたっていまはみなそうでしょうけどね。だからそれを、どうやって自分流にするか、ということなんですね。同じ素材でも、職人さんによって全然違うものになってしまいますから。うちにいちばん合う小麦粉があった昔とまったく同じ作り方ではない、ということもいえるわけです。
 それからいまは、グルテンを取ったあとのデンプンの処理ができなくなりました。私が子供の時分までは、友禅の糊とか表具の糊とかに使われたんですけどね、いまはみな代用の糊でっしゃろ。
 それで、こんなもん作ってるのに人手はいる。私ら夫婦入れて一八人ですからね。利益なんか出てきまへんで。グルテンを取るのは、小麦粉を水で練って水洗いし、また練って洗う。この繰り返しで、そういう作業はいまは、機械があります。ただこういう機械は、明治に入ってからできて以来、ちょっとも進歩しないんですね。というのも、麩は熱を持った途端に香りが飛んじゃうんです。そばでも何でも、石臼でしたらなんでよろしいかというと、熱の発生が少ないからなんです。そのへんが大変むずかしいところですね。でも、たとえば昔のからくり人形みたいに、ギアから何から全部木でできてれば熱の発生率が小さいから、そういうものができればもっと使いたい思うけど、そんなもんメーカー作らへんしね。それでも機械化しようと思えば、全自動化もできないことはありませんよ。商品としてはどんどんできます。ただ、そうなればもっと大手が必ず目をつけてきます。そうするとどこで競争力をつけるかと、ずーっと堂々めぐりしてまた、こういう商売になってしまうんじゃないでしょうかね。
 まあ、うちらみたいなとこになんか若い人なんて、とても来るはずがない思って諦めてましたけど、最近はぼちぼち入ってくるようになっています。そういうときに、うちらはいわゆる会社みたいなんじゃなくて、番頭やら小番頭やら、丁稚を育成するいう、そういう要素の方があっていいと思うんです。それでたとえば祭りにはこの屏風を出す、提燈はここに収めてあるというような、そういう家の中の行事を通していろんなしきたりとか行儀とかを覚えていくという、そういう魅力をつけてやったらいいと思うんです。

――小堀氏は九年ほど前(1981年頃)、京都新聞に「今日の水」をテーマにした一ページ全面広告も出している。井戸水が京都の食文化を発展させてきたことを強く訴えたものだったが、その背景には、その年、京都市が酒造などを除く食品業者の井戸水使用を禁止したことがあった。生麩の製造には、京都の地下水が絶対に必要なだけに、井戸水の果たす役割の大きさを切々と訴えた。
「いま使っている井戸は六〇メートル掘ってますけど、深い井戸の方がおいしいいうのは錯覚。ほんとは浅い井戸の方がおいしいんです。それ以前に堀った井戸はみな浅井戸でしたけど、枯れてしもうてね」
 昔から伝わってきたノウハウはある。しかしそれ以上に、水の影響は強いのだそうだ。同じように作っていても、生麩の出来は毎日、微妙に違う。その「水の神がかり的な要素」があるからまた、麩作りは面白いのだ、ともいう。

新しい可能性を見出せる食品として麩をとらえたい

 麩は時代で変わるいいましたけど、最近はフランス料理の素材としての麩も作っていますよ。もちろん同じたんぱく質とでんぷんを使うんですけど、時代に応じたテクスチャーとか、そういうものをつくっていかないかんので。試作ですけど、チョコレートムースを入れた麩まんじゅうまでありますから。でも、昔の麩の口伝書なんか見てみますと、でんぷんの配合とかいろいろ、いまとはずいぶん違います。むしろ当時の方がかなり勉強していましたね。たとえば、いまの人はセメントに砂を入れたのがコンクリートという頭しかないけど、昔の人は、ガラスを放り込んでもコンクリートや、という発想があった。もっと頭が柔軟だったんですね。それに昔は、料理屋さんの方からこういう麩をできないか、というような注文があって、それをこなしていきながら、その中からいまの麩が残ってきたものなんです。けど、いまの料理屋さんは、こっちから出さないと知らなかったりしてね。だけどお客さんも分からへんからそれでもいいゆうことになるのかもしれませんけど。それでも、そういう働きかけはずっとやってきていますけど、なかなか時代によって、昔のやり方が合うてこないし、むずかしいですな。
 けど私は、もっとこうしたらいい、ああしたら面白いんじゃないかと発想できる、そういう料理屋さんの人との出会いがほしいなと思いつづけてます。いうたら触媒がほしいんやね。なぜ京都というところで素材が発展してきたかというと、そういうものを見る目とかいろんな感覚が洗練されてきたからです。でもいまの消費者はそういう目を持っていないから、いいものも生まれてこない。それでなおかつ「京」というのを頭にのっけるからおかしなことになると思うんです。もっと自信をもって、べつに京都らしさなんてめざす必要もないし、もっと素直にいまの感覚のものを作っていけばいいんじゃないかと思うんですね。うちらにしても、固定的な考え方をいっぺんばらして、新しい可能性を見いだせる食品として麩をとらえたい。それはやはり、夢として持っていたいですね。





 
   

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