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炭焼き溶岩ハンバーグ牛匠 スイーツガーデン果匠 無事にオープンができました

みなさんこんばんは
7月2日にオープンして以来初めての店休日でしたのでこうやってブログをアップしています。まず、オープン一週間で実に1000人を超えるお客様にご来店いただき本当にありがとうございました。
オープンから、毎日毎日改善の日々です。
レシピも毎日変更しながら、少しでもいい食事をしていただける努力だけは欠かさずに従業員一同協力して意見を出し合っています。
一つのハンバーグではできることが
150人を超えるお客様では出来ない現実に未熟さを感じ反省しきりです。
溶岩プレートの温度は高すぎだと油ハネが大きいけれど
低すぎると遠赤外線効果が小さく美味しくなりません。
1枚では管理ができても、それが150枚となるとそうもいかず
温度が一定ではないオーブンでどうやってそれを一定に管理するか。
ハンバーグひとつ、溶岩ひとつとっても毎日改善です。
完成度を1日1%でも高くして、一人でも多くの人に美味しい時間を提供できるように雨がふろうと、ありがたくない台風が来ようと、具体的に一つずつよりよい店を作っていきたいと思っています。
このブログをご覧のお客様で当店へのアドバイス、叱咤、激励等ございましたら、当ブログ及び当店ホームページよりご指摘いただけましたら幸いです。
炭焼き溶岩ハンバーグ 牛匠
Sweets garden 果匠
また、現在 ハンバーグ 牛匠では ご来店頂いたお客様順にご案内させていただいております。電話による席の予約を受け付けておりませんが、今後は電話予約も可能にできるように順次調整していければと思っています。
しかしながら、唯一譲れないこだわりがあります。
当店では、牛肉はしっかり熟成そして挽きたて、コメは炊きたて、味噌汁は煮えばな、サラダは切りたてのみの食材しかこれまでもこれからも使うつもりがありません。そのため、材料がきれてしまい、せっかくご来店頂いたにも関わらず席のご案内をできなかったお客様もいらっしゃいます。誠に申し訳ありませんでした。ここでお詫びをさせていただきます。まさか2日で一俵ものお米を使うとは思っていませんでした。当店では、大和松梅のヒノヒカリを川浪農園さんから仕入れていますが、秋の収穫を待つどころか夏を越せない可能性も出てきてしまいましたが、作りたてのこだわりだけはいつまでも忘れたくありません。
無理してお客さんを案内して売上を上げるより
ひとりひとりのお客さんの満足度を1%でも上げることのみが、現在の課題だと考えています。
そのため、4組ずつのお客様を案内させていただいておりますが、少しでも待たせる時間が短縮できるようにもっともっと改善をしていきます。
また、テレビ各社はじめメディア各社の皆さまへお願いがあります
取材や掲載に関して多くの電話やメールを頂戴いたしまして誠にありがとうございます。しかしながら当店はまだ、オープンして間もなく日々改善の毎日です。毎日200名のお客様がご来店頂いてる現在は電話に出る余裕すらなく応対する時間を仕込みに回したいというのが正直なところです。
もし、できましたら、あと2,3ヶ月お時間頂いて
その時でも当店が取材に値する店舗だと興味を持っていただけてからの
ご連絡をお願いできるのであれば、幸いです。
現在は全ての取材などの依頼をお断りさせていただいておりますが、メディアへの掲載をお断りしているのではなく、いまだ仕込みや現場改善のための未熟さ故であることをご理解くださいませ。
そしてこれからも、毎日毎日味のクオリティーやサービス、快適な空間づくりの改善をして行きたいと思っていますので、皆様どうぞよろしくお願いします。
何をやるか、より、誰とやるか
あまりに久々の投稿で、タイトルを何にするかに小一時間悩んで
結局、なんのこともないタイトルになってしまいました。
2年くらい前までは寝る時間を削ってでも書いていたブログ。
朝は6時から豆腐を作り
9時になったら現場に入り、
昼休みにはパソコンで情報収集
夜の営業が終わったらまたパソコンとブログを書いて
23時過ぎに帰る。
そんな日々を過ごしていたので
もっと時間がゆっくり取れたら色んな事が書けるのになーと思っていました。
でも、それは嘘ですね(笑)
以前より時間が取れるようになった今、ほとんど書いてません。
前に比べ薄い内容の告知ブログと化したこのブログ。
何となく、書くことに意味を見いだせていませんでした。
久々にブログでも書くかなー
でも、何を書くでもないなー
そうだ、先日行ったマカオの話でもしようか
でも、なんかとって付けたような話をするくらいなら辞めとこう
そう思って、ふとこのブログのトップを見てみました。
あ、そうだ、佐賀ファンブログっていうサイトに所属してたんだ、と思い
最近はどんな人が流行ってるのかな、と見てみました。
そこで見つけた一つのブログ
バンザイミート!はらのくん
応援ありがとうございました! 2013年9月14日、もう一度伊万里で頑張ります!
はて、もう一度とは何かあったのかなと思い遡る事、半年分
開業半年で店が全焼し、その後移転してまた再開されたという記事。
その中での日々の葛藤や再開に至る経緯
毎日毎日、その日の商品情報やお客さんとのやり取り
そういうモノがアップされていました。
開業してすぐに店舗が全焼したことで有名なのは NOBU
ロバート・デ・ニーロと共同経営する店が世界展開を果たしたこのNOBUもアラスカでの開業後10日で店が全焼、残ったのは借金だけという時代を経たのは有名な話です。東京、虎ノ門にあるNOBU東京のメインシェフは佐賀出身の東郷さんです。(たぶん今もそうかな)
世界に活躍する地元のひとで有名なのは、ビヨンセのMDの辻リエさん。
先日佐賀で凱旋ライブをやられてましたね。何にも知らなかった僕はつい先日テレビで見て、あわててお祝いのメッセージをしたところでしたww
あと、身近なところで言えば同級生の松嶋君は最近ネスカフェのCMなんか出て頑張ってますね。
あれ?何の話だったかな?
話が脱線して何の話をしようとしていたのか忘れるのは相変わらずです
そうそう
伊万里のバンザイミートはらのくん、のブログを見て感じた事でしたね
やはり自分のことと重ね合わせてしまうんですね
22の時独立して
25で水匠を始め今に至る
言葉にすれば2行(笑)
僕の人生2行かよww と突っ込みたくなるところですがまだまだ、苦労を人に語るほどの実績もキャリアも世界で活躍する友人たちに比べたら微々たるものです。勿論地元に根差して商売をやるのも大切な事です。でも、独立する22歳の時に僕には何としてでも決めたことが有ります。
必ず海外に出て成功してやる、と。
理由など有りません。
先日知り合いになったニューヨークの博多料理店のHIMIさんにこう言われました。
俺はニューヨークが世界で一番激戦区だと聞いたからニューヨークに出店したっちゃんねー
その時思ったのが、何をやるかでも、どこでやるかでもなく、ここで成功するには
だれとやるか、が一番大事だと思うよ。と
行きつくところ人間。
企業は人なり。
伊万里のはらのくんも
リエさんも松嶋君も
NOBUさんもヒミさんも
何をするかどうするかを考えるのはもちろんですが
誰とするのか
誰と喜びを分かち合うのか
飲食店をはじめて3年後に残ってるのは3割
10年後に残っているのは1割と言います。
でも、残っている店、そしてそれを知ってる人は
お山の大将ではなく周りに支えてくれる人が居るからなんだろうな
と言うのを改めて思いました。
最近、店を改装しています。
畳を新調し、壁を塗り、空調を整え、床断熱を入れ
押し入れに入っていた1tくらいのデカイ金庫を壁ごと引っ張り出し
トイレを塗り直し、段差をなくし、床を磨き、ふすまを張り替え庭を整え
もう10年はいじる事が無いくらい築100年のこの店の状況は整いました。
僕の後を引き継ぐスタッフもみなそれぞれに自分の考えで
水匠を良くしようとしてくれています。
どういう結果になるにしろ、皆で考え協力し
前を向いている限りすべては経験だと思っていますので
僕が言う事は何もありません。
料理も今や彼らが考え、ミーティングをし、朝礼をし、改善しています。
僕が出すのはお金だけ(笑)
たまに手伝おうとすると、
『あ、良いです。自分らでやります』といわれます
さて、そろそろ僕も次のステップに進む時が来たのかもしれません。
その準備は出来てます。
最期にマカオで出会った素敵な人を紹介します。
勿論、間違ってもこんな勘違いな服着た中国人とは一緒に仕事はできませんが。。。。。
知らない方が良かったのか・・・・
世の中には知らない方が良かったことというのは多いものです。
いや、知りたくなかったというのでしょうか。
みなさんもご存じのように、阪急阪神ホテルズとリッツカールトンで表示偽装がおきました。物事の真偽に係ることですので、他社の事に対して憶測で物を語るつもりはありませんが、知ってた方が良かったのか知らない方が良かったのか、という問題については一つみなさんに興味深い記事をご覧に差し上げます。
おいしいね!回転寿司で大活躍の偽装魚まとめ
分かりやすい例でいえば、シシャモが最たる例でしょう。
あれはシシャモではなく、本当はカペリンと言ってシシャモじゃないんですね。
今では、シシャモよりもシシャモな魚になっていますが(笑)
それはそうと、来月の8日に佐賀県庁で僕の友人の先輩が講演をするので行ってこようと思うのですがこういう偽装(笑)なら、みんなを幸せにするのではないでしょうか?
アメリカ人の「食わず嫌い」を'言葉'で直したレストランオーナー
騙される方も幸せになる嘘って言うのもあるんですね。
では、また。
家庭で出来る美味しい土鍋ご飯の炊き方
始めチョロチョロ、中パッパ
プープー吹いたら火を止めて
赤子泣くとも蓋取るな
っていいますが、パッパってどれくらい火加減か、分かりますか?
僕は分かりませんでした(笑)
今日は10月4日放送のRKB『今日感テレビ』をご覧になられた方に向けての記事ですので、ご家庭で炊飯器よりも早い時間で、美味しく炊けるご飯の炊き方を紹介していきたいと思います。以前、当ブログで書いた内容を加筆・改筆しています。
まず、材料ですがこれからの時期に合わせて
新米 (銘柄は特になんでも構いません、新米でなくてもOKです)
水 (水道水で構いません)
土鍋 (家庭で鍋料理をするときに使うアレです。ただし蓋を付けてください)
コンロ (家庭用のコンロを想定して今回はカセットコンロでやってみましょう。)
それでは早速やってみようと思いますが、その前にここで一つ提案があります。
ご飯を炊く手順は2つだけです。
①米をあらって水に浸す
②実際にご飯を炊く
多くの家庭では①はその都度やってるけど、②はまとめてってところが多いと思います。でも、ご飯の準備をするときに、その都度ご飯を洗って準備するのって意外に大変じゃありません?だからまとめて炊いて冷凍する人が多いんでしょうけど、どうせ冷凍するくらいなら、まとめて洗ったやつを小分けに炊くのをおすすめします。その際は、今回紹介する土鍋じゃなくてタイマー付きの炊飯器でいいと思います。
子供と旦那さんの夕ご飯の時間が違う。次の日の朝の分、朝の家事が終わってお昼ご飯等など、タイマーするのは簡単だけど、お米洗ってないからできないって人も多いんじゃないかと思うんですよ。
要は「洗って、水に漬けて、ザルでほどよく水が切れたお米」はこれからの時期、ボールを敷いたザルに上げたまんまラップしておけば常温でイイです。もちろん冷蔵庫に入れられるスペースが有るのならその方が確実ではありますね。

それから、洗ったあとのお米は1合=200g(新米/古米関係なく)と覚えておいてください。

別に炊飯器の水のメモリなんか見なくても、1合は洗ったお米200gと水200cc。これでOKです。
テレビやなんかでご覧になられて色々試されるのは良いことですが、毎日食べるお米を毎日いつまでも美味しく食べるために僕からの提案は
『まとめて洗って小まめに炊く』
『浸したお米100gと水100ccで一人前』
さて、それでは本題に入りましょう。
1:お米の分量を正確に量る
さて1合は180ccですが、1合って意外と計りにくいですね。なので、重さで計りましょう。約165gです。
茶碗2杯分で165g(浸したお米は200gでしたね)。
2:水で素早く研ぐ
米は水を吸収しやすいので、最初はヌカを洗い落とすつもりでボールにたっぷりの水をはり、米を入れる。

お米に、水を入れるんじゃなくて、水にお米を入れるのですね。(これは、てんぷら粉を作るときにも言えます。粉に水じゃなくて、水に粉ですね^^)

手早く2~3回かき回して、すぐに水から上げる。

そして、水を入れ替えて、その中にお米を入れて研ぎます。研ぐと言っても、ゴシゴシ研いではいけません。僕は、拝み洗い(仏様に手を合わせるようにして擦り合わせる)で、 軽くこすりながら洗います。

水がきれいになるまで数回水を替えます。(黄ばみ、匂い防止) 新米はそんなに黄ばみや匂いもあまりないので、透き通るまで水を変える必要はありませんね。

3:お米を水から上げ、水を量る
研ぎ終わったお米はそのまま30分ほど水に漬けておきます。そのあと出来るなら、乾き過ぎない程度に30分ほどザルに上げておいた方が良いですが、時間が無い人はそのまま炊きましょう。

★さて、ここからが本番です★
今回は4人分のご飯を用意しましょう。お代わりを含めてチョット多めの5人分の計算です。つまり、洗い米500gと水500gですね。


①蓋をして、火にかけます。
初めはチョロチョロ、徐々にお米に熱を加えていきたいので中火です。時間は3分

②3分ほどしたらお水が温かくなってきます。不安に人は蓋をあけて軽く湯気が立っているのを確認しても良いですよ。または、土鍋の小さな穴のところから温かい空気が出てきていますか?それを確認します。
③それを確認したら一番強火でお水を沸騰させ吹きこぼるギリギリまで熱を加えます。
これは4分ですね。

ココで蓋を開けてみたくなります。どうなってるか気になりますよね。なので、どうしても気になる人は開けても良いです!!!(初めての人は慣れるまでOKです)せっかくだから開けたついでに、鍋底をしゃもじでかき混ぜてみましょう。(鍋底の焦げ付き防止で)そして、すぐに蓋を戻します。

④そのあとは約10分弱火にしてじっくりお米を炊き上げます。(タイマーで10分計りましょう)

⑤そして最後に再び強火にします。その間約10秒。蒸らすための水分をお米から引き出します。このときは開けてはいけません。この蒸気で蒸らすのですから。10数えて下さい。そして、さっと火を消します。

⑥最後に蒸らしです。10~15分待ちます。蓋を開けないこと 我慢です。 ただし、固いご飯が好きな人、麺類と一緒に食べる人は5分程度でも良いですね。京都の嵐山吉兆ではご飯を蒸らさずに提供しているそうですから個人差でしょうか。ちなみに僕も蒸らしは5分程度です。




いかがでしたか?30分もあれば出来ますね。
今日はご飯の炊き方も大事でしたが、常にお米を洗い置きしておくことの便利さを書きました。みなさんも、どうぞ試してみてください。

え?我が家ですか? 僕は帰宅時間が遅くて夜11時ごろになるので、ラップに包んだご飯が置いてあります。それを1分チンして一人で寂しく食べてますよ。いや、一人じゃなかった。ニュースジャパンの大島由香里アナウンサーが僕の相手を・・・・・・・
それでは、また。
たんこぶちん
先日メジャーデビューした”たんこぶちん”というバンドをご存知ですか?
僕の出身地、唐津の子5人組で地元では随分有名なガールズバンドだそうですが
僕はつい最近まで知りませんでした。
地元びいきでなく非常にいい曲だと思います。
のびのびと良い曲をこれからも聴かせてほしいですね
フルーツタルトに込められた忖度(そんたく)というココロ
当店のホームページをご覧いただいたことが有る人はご存じでしょうが、誕生日やその他のお祝いでご来店のお客様にはコース料理の最後で提供しておりますスイーツをお祝いのタルトやロールケーキに変えて提供しております。

(写真は18cmのフルーツタルト・通常3300円で販売もしておりますが、6~8名様でご来店のお客様に1ホール提供しています。)
この店を初めて10年になりますが、みなさん”何かの時”に当店を利用して頂いている事が多いようです。結婚祝い、出産祝い、昇進祝い、誕生日、合格祝い、退職祝い。
最近では自動車学校の仮免許に合格するはずだった、等々何かと理由をつけて(笑)ご利用いただいているようで有りがたい限りです。
始めたばかりのころは、豆腐料理のイメージが強かったからか法事で来店するお客様やヘルシーを意識したお客様が多かったと思いますが、僕自身がポジティブな性格からか、豆腐料理をもっとポジティブなイメージにしたかったということもあり、7年前からスイーツに力を入れるようになりました。
なぜスイーツか、という話ですが、和食は突き詰めて言えば陰の気を持ったものです。それは文化や生活環境が背景にあるからなのですが、その対極にあるものは何か、というのを考えたらスイーツだったという単純な理由です。
ただ、当時は豆腐料理を意識するあまり、どうしても豆乳や豆腐を使わないといけないと思い込み、活かしているのか無理やり使っているのかが分からない事もありました。その代わり生クリームの代わりに豆乳を使うことで、薄っぺらい味にしないために有精卵を使い、その味を補ったり、単に調理するだけでなく、素材を活かすとはどういうことなのかに深く目を向けることが出来たのはとても有意義だったと思います。
その中で本当の意味でのヘルシーとは何か、スイーツの持つ意味とは何かを考えました。
スイーツって、食べなくては生きていけないものではありません。
日本人にとっての和食は、食べなければ生きていけませんし、いくら欧米人の食生活ぶっても体のつくりが違うのですから、どだい肉食は合わないのです。和食にも脂肪分は有りますし、特に、人間にとって必須な脂肪酸であるω-3脂肪酸は和食の生活を続けていれば自然と摂取できるうえに、ω-6とのバランスも最適に保てます。
しかし、肉食に頼るとω-6を過剰に摂取してしまいバランスの悪い脂肪の取り方になってしまいます。
また、動物性脂肪の取りすぎは脳内麻薬のエンドルフィンを過剰に分泌させてしまいます。そのため、食べても食べても満足できなかったり(これは素材じたいに栄養素が含まれていないせいもありますが)、、、、、、
また話が逸れそうになりました。
そう、スイーツの話です。
スイーツって、体にとって必須かと言われてしまえばそうではないのでしょう。
しかし、やはりココロにはとっても必要だと思います。
楽しい思い出や笑顔の思い出にスイーツはつきものだからです。
そう考えたときに、僕の中では和食の店であるということよりも”何かの時”に利用して頂いているお客さんに対して”何かの時”にふさわしいもてなしで迎えているのか?という問いが生まれました。
和食の店でフルーツのタルトは、似合わない。ふさわしくない。というのは凡人の考えで、僕はそうありたくないという思いが有ります。普通かどうか、常識で考えてどうか、が問題ではなくサービスの、もてなしの心は、相手が無意識に気づいていない欲求を満たす事ではないかと考えているからです。
忖度(そんたく)という言葉をご存知でしょうか?
辞書で調べると、他人の心をおしはかること、とあります。
ネットで調べても、忖度という言葉は、相手の心を推し量りはするものの実際の行動には移さない、と書かれていますが、たぶん、実際の行動に移して、してやったんだ、という恩着せがましさを出さないようにしたのではないでしょうか?だから、実際の行動に移さないんじゃなくて、さりげなく差し伸べると言うことでしょうか。
だから、忖度は相手に対する思いやり、という意味なのでしょうし、これからもそのままの意味で良いと思います。
恩は売っても恩に着せるな、恩を恩と思わず、有るがままにそっと手を差し伸べなさい、ということでしょう。
僕はそれで良いと思います。
最終的には誰に気づかれずとも、自己満足で結構。
実際に、これを提供している当店のスタッフにはこの話はしていません。
だから、お客さんを増やすための一環だとしか思っていないスタッフもいるでしょう。
でも、それでいいのです。
気づく人もいるだろうし、気づかない人もいて良いのです。
最近、インターネットやツイッターなどではお涙頂戴の話が沢山流れています。
日本人は感動したがる、と言われますが、ほんとにこの手の話が多いこと多いこと。
正直、感動疲れしてしまうことも度々です。
だから、本当は伝えていたほうが良いことでもあえて伝えないで自分で考えてほしいと思います。
僕はわざとらしい事をわざとらしくするのが大嫌いです。
その代わり、些細なことを大げさに言います(笑)
夏のスイーツ。
まだまだ、当店のパティシエも修行の身です。
毎日毎日、このストイックな僕に一切妥協させてもらえないのですから大変です。
でも、いつか、本当に自分自身の商品が自分の分身である事に気づくでしょう。
人から表立って評価されたときに、その商品が、自分のその時々の一生懸命の姿で有れば、それは成長のための失敗になります。
その時、初めて、藁にでもすがる想いで人から色んなものを盗もうとするはずです。
考え方、技術、生き様。
商品が商品であるために、商品ではないところで商品を学ぶ。
これからも、また一歩ずつの成長です。




儚いもの
形の残る芸術もあれば
終わらせてしまうことで、その美しさを表現する芸術もあります。
料理もまた、終わらせてしまうことで表現する芸術なのでしょうか。
いや、芸術ではありませんね。
楽しむものでしょうか。
包丁
つい先日面白い動画を見つけました。
日本刀と西洋のロングソードのどちらが強いかというもの。
料理の世界では、和包丁はモノを切る事に関しては繊細です。
包丁一つとっても、その種類たるやさまざまです。
それに比べたら洋包丁はモノを切ることに関してはそうでもないようですが、火を入れること、特に焼きの技術に関しては和食よりも非常に繊細でどういう火の入れ方をするのかに関しても多くの技術がスタンダードに有ります。
要は、それぞれの食文化の背景によるのでしょうが
僕にとっての包丁というのは、技術論ではなく、精神論的な意味合いが強いかもしれません。
1年半前に購入した柳刃と薄刃(菜切り)包丁です。

この包丁は 『酔心 INOX』
最近では、当店の豆腐職人が定年で引退したことも有って、豆腐を作るのが僕の役目です。そのため、包丁を握る機会も少なくなってしまったのですが、常にこうやってキチンと包丁に手入れを出来ているということが、自分が料理人であるという基本、それから見えてはいなくても客席にまで気配を忍ばせておく事が出来ている証しだと思っています。
あっちもこっちも、あれもこれもの仕事に翻弄されることも度々です。
庖丁を研ぐことも作業の一つになったりする事も勿論あります。
それでも、やはり続けること、誰も見ていなくてもやることに意味が有ります。
忙しさの渦中に居る時は見えないけれど、庖丁を研ぐことを作業で済ませてしまっていた『あの時』は、忙しさで自分自身周りが見えていなかったんだな、という反省が出来ますから。
元々がせっかちで、貧乏性なのでしょう。
何事も、思い立ったらすぐにやらないと気が済みません。
幾つになってもそれは変わらないような気がします。
しかし、少しだけ反省する、振り返る時間を自分なりに見つけることが出来るようになったのは良かったのかな、と思っています。
いつからだろうか
このブログをあまり更新しなくなって、もう、ずいぶんたちます。
以前は、2日に1回は更新していましたが最近では1月に1回程度。
内容も以前に比べたら随分と、うすーいモノになっています。
始めたころから読まれてる人には物足りない内容でしょうが
理由はいくつかあると思いますが
ひとことで言うと、伝えることに飽きてしまったからでしょうね。
伝えることも大事だけれど、今は、自らが実践する時のような気がしています。
このブログに記事を書くときは、だいたい、自分の脳みその整理をしたり
その時々の自分の考えをブログに残したり
自己満足のブログであったと思います。
だから、誰に向けて書いているというものじゃなかった。
自分の中に溜まっていた、誰かに伝えたいモノというか
自己顕示欲も満たせたし、知らない誰かと無理して繋がるよりも
他にもっと、やるべきことに気づいたので筆が止まったのでしょうか。
乗り気がしない物を無理して書くのも性に合わないので
しばらくはこのままで良いと思っています。
今日はこんなことが有りました
昨日はこんな感じでした、のような日記は書く気がしません。
今月いっぱいで、当店の豆腐職人、北村が引退します。
また、新店舗の開業に向けて今月から新しい社員が増えました。
パティシエの康嵩は、福岡で5年修行して引っ越して来ました。
和食の西峰さんは、大阪の『なだ万』で10年修行をして帰佐してこられました
接客スタッフには長崎県から、17歳のみさちゃんが来る予定です。
これまでと違い、毎日毎日現場で包丁握って直接指導ではなく
人にまかせながら、成長するのを見守る事になりそうです。
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
朝倉山椒
何を隠そう、僕は草木を愛でる心を持つ男です。
春になったので、以前から頼んでいた朝倉山椒の植樹を行いました。
朝倉山椒と言えばなんだかカッコいい名前ですが、そんな大仰なことじゃなく
枝に棘のついていない木の芽を植えたってことです。

ウチの庭師に以前から頼んでいた奴です。

玄関までのアプローチの途中に植えています。

木の芽は植え替えにかなり敏感な植物です。
僕のように、デリケートです。
土との相性が悪いと直ぐに葉が落ちてしまいます。
これは3年物の朝倉山椒ですが、山椒の実をつけるのは雌木だけ。
来年実を結べば良いなと思って植えました。
私事ですが、今月15日に長男が産まれます。
娘も4月生まれ。
生まれた日に、満開の菜の花に祝福してもらったので
『彩菜』と付けました。
長男は、顔を見て名前を考えたいと思います。
春に縁が有るのでしょうか、色んな植物や動物が目を覚まし
新しい季節を迎えるこの季節は穏やかな感じがして最近好きになりました。
いや、少し穏やかな心を持てるように
誰かがそういう縁をくれたのでしょうか。
明日は、ハーブの種を別の庭にこっそり植えたいと思っています。
日本庭園なので、あくまでこっそりと。
それでは、また。
日本は水が豊かな国だと思っていませんか?
みなさんは、『LESS IS MORE』という言葉をご存知でしょうか?
ファン・デル・ローエという建築家の言葉なんですが、
「Less is more.」は、(より少ないことは、より豊かなこと)という意味で解釈されています。
もう一度頭の中で反芻してみます。
より少ないのは豊かなこと
その言葉の意味に隠されているのはどういうことでしょうか?
最近こんな本を読みました。

日経レストランから出ている本で、今話題の東京に有る『俺のイタリアン』『俺のフレンチ』や、イタリアン落合シェフの店『ラ・ベットラ・ダ・オチアイ』等について書かれていました。僕の友人で東京・神田のVINOSITY magis ヴィノシティマジスをやってる藤森さんも載っていました。
単に安い価格戦争はもうこりごりです。
280円の牛丼でもワンコインのお弁当でも。
確かに、こういう時代に有ってデフレの次の一手みたいな取り上げられ方で、一流の、本物の味の商品が安く食べられるのはありがたいことですね。僕なんかは、自分の店でスキヤキを出そうと思っても、そもそも美味しいスキヤキの店に行ったことがなかったぐらいです。今の若い料理人たちにとっては、安い値段で本当のものを食べるきっかけが出来て嬉しいと思います。一般の消費者の人たちは単純に嬉しいだけでしょう。
しかし、ここで勘違いしてはいけない事が有ります。
原価率の高い商品を出すことだけがお客様還元ではないし、右も左もみんながみんなこういう流れに乗るのは間違っているということです。これを鵜呑みにして、単に原価率の高い目玉商品を作っても、それは自分がダメージを受けるだけで長い目で見たら続かないでしょう。
次は何か、次は何か・・・・・・・・・
お客さんの要望に答え続けることは飲食店のみならずすべてサーヴィス業のテーマですがそれだけに囚われてしまうと自分が何を作りたかったのか、お客さんに何を食べてほしかったのか、何を伝えたかったのかが全く分からなくなってしまいます。
お客さんの目に見えてお得であることが、本当のお得ではないということです。
単に安くて程々のものを否定も肯定もしません。
一流のものを安く売ることも否定も肯定もしません。
僕が言いたいのは、極端な例だけを取ってそれがあたかも全体の流れであるかのように流される価値観をやめようと言うことです。
ところで、みなさん、我が国日本は四季に恵まれた水の豊かな国だと思っていませんか?
確かに、降水量は年平均降水量は約1,700㎜で,世界の年平均降水量約810㎜の約2倍となっています。
でも、国民一人当たりの年間降水量は世界平均の半分なんですよね。毎年夏になると、ダムの水の水量が減って節水が叫ばれていますが、それは単純に水の量と人口が比例していないだけなんですね。
人口と言えば、50年間で総人口が4132万人減る計算で、2060年には8674万人まで減る様ですね。
さて、僕は何を言いたいでしょう?
人口を増やせと言ってるわけじゃありませんよ。
アベノミクスか何か知りませんが、単に株価の上昇と円安が進んだからって何が期待できるんでしょうか?
抜本的な改革とは何でしょうか?
だいたい、実体経済が上昇していないのに、株価だけ上がっても、賃金なんか上がらんでしょう。
今の日本に売れる≪モノ≫なんか、そうたいしてないでしょうよ。
僕は、原価率を上げることが一つのやり方なら、変わらない原価率でももっと手間ひまを掛けることも一つのやり方だと思いますし、みんなが名前だけは知ってるけど高くて手が出せないような商品を手ごろな価格にするよりも、せっかくたまの食事に来るのならその価値を最大限に出来るように気遣いが出来る仕掛けを考えますし、今のぼろ儲けよりも、無くてはならない店になることを考えます。
人口減少が避けられないのなら、昔の人口に戻っただけだと思って、その人数で、幸せだと感じられる社会の仕組みにするためには今何をしなければならないのかを考えるべきだと思います。
円安にも一長一短。円高にも一長一短です。
今度はガソリンが高くなる、輸入が不利になるというニュースになるんでしょ?
そして、円高になったら、輸出が厳しい、と言い出す。
いい加減、加工立国なんだから、入れるときか出す時かどっちかは良かったり悪かったりでしょうよ。
そんな流れなら、モノづくりの次のステップに進んでみたらいいのではないでしょうか?
トンネルの崩落で、その事も分かっているはずだし、今度は作ったものをいかにリノベーションしていけばいいか、ではないでしょうか?
店も会社も作るのは簡単だけど、続けるのが難しいんですよ。
そこには、不断の努力と地道な作業の積み重ねが必要なんです。
コンビニが出来ない本物の料理
ファミレスが出せない本物の料理
それって、材料のことじゃないですよね?調理法でもないでしょう。
LESS IS MORE
自分にとってのこの言葉を考えることから始まるのではないでしょうか?
あけましておめでとうございます

一年の計は元旦にありと言いますが、まずは新年を迎えられたことを祝いたいと思います。



我が家でも、元旦と2日だけは正月モードでのんびりしております。
元旦の夜20時過ぎ、祐徳稲荷神社に参拝するのが毎年の恒例なのですが、この時間は渋滞も全くなく、駐車場までストレスなくいけるのでおススメです。
商売繁盛と、私ごとですが3月に長男が誕生予定なので家内安全を祈願してきました。
当店はと言えば、3日の営業より通常通りとなります。
今年は3月よりメニューを一新して、予定していた新店舗の出店を果たしたいと思っていますのでますます頑張っていきたいと思っています。
お焦げ
今日は急なお弁当が入り、白ご飯が足りなかったので土鍋で炊きました。
漏らす前、
いや、蒸らす前にいつもより長く30秒ほど火を強めにいれます。
おまじないでは有りません。
これの為です。

本当はもう少し欲しいところですが、あんまり欲張ると白ご飯のついでのオコゲが、オコゲの為の白ご飯になってしまいますから。
ほんの少し醤油を垂らし、シャモジでこさいで食べます。
あー、日本人で良かった。
ごちそうさま。
机の上の仕事もいいけど、現場には現場でしか味わえない楽しみが有ります(^ ^)
さて、今日はバルーンフェスタの最終日。
仕事に戻るとしましょう。
この店を始めて10年の節目に思うこと。
今から1年半ほど前のブログにこんなことを書いています。
皆さんは、スカブラと呼ばれる人をご存知ですか?
昔、まだ九州で炭鉱が盛んだった頃の話です。10人の炭鉱マンが3勤務交代制で、石炭を掘っていました。勤務が終わると、炭鉱マンたちは、トロッコに乗って炭鉱から出てくるのですが、そこにはなぜか11人の炭鉱マンが乗っています。そして、その中の1人だけ、汗はかいていないし、服はあまり汚れていない。そして、ニコニコと笑っているのです。
この男こそ、「スカブラ」なのです。
スカブラは、石炭を掘りません。炭鉱の中で、エッチな話やおもしろい話をしたり、みんなにお茶を出したりしているのです。これが仕事なのです(笑)
このようにスカブラを採用して仕事をしていた九州の炭鉱会社でしたが、日本のエネルギーが、石炭から石油に代わっていくのに合わせて、会社も傾いていきます。
すると当然、リストラの話になるわけです。役員たちは話をします。当然、「何もしていない"スカブラ"からクビを切ろう」という結論になります。
そして、スカブラをリストラし、10人の炭鉱マンのみが、炭鉱の中に入って行くようになりました。
その結果どうなったか?
作業効率が大きく下がりました。スカブラがいなくなってから、今まで同じ時間でやれていた仕事が、全然できなくなってしまったのです。そして、炭鉱マンたちの人間関係もギスギスしていったそうです。
今、自衛隊や警察、消防の方々は、もちろん必要ですが、多くの人を笑顔にする「お笑い芸人さん」も必要なのではないでしょうか。会社もせっかく休みなら、エビスビールを飲みながら、お笑い番組でも見たいです。そこでストレスを発散して、英気を養うのです。
そして、私たちがやることはたった一つ、また明日から一生懸命働いて、日本経済を復活させることです。
(岩崎聖侍 株式会社FreeLifeコンサルティング代表/ストーリー戦略の専門家)
震災の直後に見つけたこの話。
お笑い芸人とスカブラを比べるのはちょっと違うでしょうが、同じ職場で働く男たち。
この男達にも器量があったからこそ、スカブラがスカブラとして居られたんじゃないのかな、とおもえてきます。スカブラなやつだけど、居場所を作ってあげる男たちの眼差しや優しさでしょうか。
人間関係よりも結果や技術を得ることに心血を注いでいた20代。
30代になり、少しづつ周りが見えるようになってきた気がします。
人のいないところでいうからこそ、愚痴は愚痴でしかない。
不満のない人間など居ないのだから、影でコソコソ、グチグチ言うくらいなら
問題点として挙げれば良いのに。。。。
正論であっても
正論であるがゆえに言いにくい空気を作ってしまっている。
そんな時に、スカブラのように、周りから小馬鹿にされながらも
あえて、バカを演じれるくらいの心にゆとりがあれば
人を活かすことも出来るのかもしれません。
10年経って、そういう器量こそ大切なのだと思える僕は
少しは苦労をしてきたということでしょうか。
【訃報】 「また再建しましょう!」再建おじさん”が亡くなっていた
震災直後にテレビで写ったこのおじいさん。
なぜだか分かりませんがこのおじいさんの強さに
本当の男の器量を見た気がして涙がこぼれました。
再建後は、嬉しそうに旅館の皿洗いの手伝いをしていたそうです。
そして、9月に亡くなられたそうです。
古きよき職人の生き方とは
決して頑固で融通が利かない人間の事を
言うのではありません。
本物の生き方とは・・・・。
本当はとても大きく、
そして、優しい生き方なのだと考えています。
経営者がこういうことを言うのは甘いのかもしれませんが
10年を節目に
もう一度、自分がどういう生き方をしたいのか
これから、何を作っていきたいのかを考えてみたいと思います。
また、再建しましょう、といったお爺さん。
もし、店や会社がなくなっても、そう言える様に。
多分、彼はひとりではなかったのでしょうね。
人の振り見てなんとやら
徒然草、第百十六段
寺院の号(な)、さらぬ万(よろづ)の物にも、名をつくること、
昔の人は、少しも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり。
この頃は、ふかく案じ、才覚をあらはさむとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。
人の名も、めなれぬ文字をつかむとする、益(やく)なきことなり。
何事も、めづらしきことをもとめ異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。
みなさんお久しぶりです。
2ヶ月くらい放置していましたか。このブログも。
今から約700年前に作られた徒然草の一節ですが、
今の僕たちから見ても、ちょっとおかしな名前のつけ方ってありますよね。
特定することは避けますが、まあ、どう見てもおかしい。
かっこいいからと言って、当て字で英語のような名前にするくらいなら
はじめからアルファベットの名前をつけたらいいじゃないかと思ったんですが
アルファベットはつけられないようですね。
戸籍法第50条に「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とあり、
名前につけられる字は、常用漢字1945字と人名用漢字983字の合計2928字の
漢字とひらがな・カタカナに限られていて、それ以外の字を名前につけた
出生届は受け付けてもらえないことに法律で決まっています。
まあ、今も昔もその時の風潮だけに流されずに
もう少しよく考えろってことでしょうね。
名前だけには限らないでしょうよ。
普通にかんがえりゃ有り得ないような嘘に騙されることもそうだし
自分の都合のいいように物事を解釈して、そう思い込みたいように
自分に暗示をかけるがごとく納得させたり
ありもしない儲け話に乗ってみたり
自分の保身のために嘘をついたことが
還って取り返しのつかない事になってしまったり
僕もこのブログでいろんなことを書いていますが
自分自身やはりまだまだ未熟だということを思い知らされることも多いです。
新しいことに取り組んでいるつもりが
単に奇を衒ったまがい物にしかなっていなかったり。
それではどうやってその目を持てばいいのでしょうか?
答えは一つ。
痛い目を見たり、苦労をして経験値を積むしかないのですよ。
一人で耐える人もいるでしょう
家族と一緒に支え合いながら耐える人もいるでしょう
仲間と一緒に耐える人もいるでしょう
そして、またやり直すしかないのですね。
今日の一言
一生懸命は知恵を出し
中途半端は愚痴を出す
いい加減だったら
言い訳が出る
それはそうと、調理師の試験に合格していました。
頑張ったから ご褒美が出る
にはならないようです。
ああ、この世は無情・・・・・・
勝つでも負けるでもない、生き残るという事
人から褒められて嬉しくない人はいない。
人から非難されていい気分の人はいない。
また、お互いのポリシーについての話になると気負いからか
言い負かしてしまおうとする自分がいる。
論破する側とされる側なら・・・・・
そんな時、勝ち負けだけではない価値観を身につけたいと思う時がある。
商売においては勝つでも負けるでもない、生き残ることこそが真髄だと思うときがある。
目線を変えること
土俵を外すこと
これは単なるゆとり的な考え方ではない。
かと言って勝ち負けを付けずナアナアにしているわけでもない。
誰もが自由に書き込みできる匿名掲示板「2ちゃんねる」において、
僕は不思議と愛されているようで、これまでも何百回となく殺されている。
だから、今回だって特に驚きはしない。いつものことだから。
そりゃ、ヘコむ。いい気持ちはしない。
その書き込みを見た友だちは、気遣いの言葉をかけてくれる。
読者やファンの人から送られてくるメールや手紙は、そのほとんどが僕を誉めそやすものだ。
街を歩けば、「いつも観てますよ」「勇気をもらってます」。
若い女の子にキャーと言われれば、やっぱり悪い気はしない。
仕事先にはスタッフがいて、いつも気を遣ってもらっている。
暑くないか。寒くはないか。のどが渇いてはいないか。
黙っていても、快適な環境が自然と用意される。
若くして世に出てしまった僕に強く物が言える人がいないのは、
僕にとって大きな不幸だと思っている。
僕はそう強い人間ではないから、
時折、このまま傲慢な人間になってしまわないだろうかと不安になることがある。
そんなとき、僕はパソコンを開き、「お気に入り」のフォルダから「2ちゃんねる」を選び出す。
僕を悪く言う人々の書き込みを読む。
薬みたいなものかもしれない。
それまで持っていた自信や自尊心といったものが一気に崩れ去り、
代わりに謙虚な心が入り込む。
泣きたくなることもある。でも、それくらいがちょうどいいと思っている。
彼らの文言は、あまりに心なく、的外れなものが多い。
けれども、時に足元を見つめさせてくれるものもある。
「あんな文才のないやつが」と書かれれば文章を磨くことに貪欲になれるし、
「障害があること以外に何のウリもない」と指摘されれば ウリを作ろうと必死になれる。
匿名だからこそ好き勝手に書けるけれど、匿名だからこそ本心が出る。
僕をよく思っていない人たちの存在を知り、意見を聞くことで、
見たくない自分の姿が見えてくる。
そこから目をそらすことの方がよっぽど簡単でラクなことだとはわかっているけれど……。
名誉毀損をちらつかせながら彼らを黙らせることは、確かにできるのかもしれない。
でも、それでは単に彼らの口を閉ざしたに過ぎない。
誹謗中傷する人々の気持ちを少しでも変えるよう努力する。
それは、僕にとって意味のないことではない。
乙武 洋匡
多分彼は、同じように障がいを持つ人の分まで背負っていることを自覚しているのだろう。
かと言って声を大にすることもなく、ただ、そのことを頭の片隅に置いているのではないだろうか。
グルメブーム
世の中、たまにしかできない食事くらいは良いものを。
普段はスーパーのお惣菜や冷凍食品。
そう言う二択で物事を考えるからみえるべきものが見えなくなるのです。
スーパーの特売で安い方に安い方に
同じ商品なら安いに越したことはないと探す努力を
なぜ別の方に向けようとしないのですかね?
消費者の利便性を追求するといえば聞こえはいいですが
果たして
お母さんの持ち運びの便利さが故に作られた幼児食品や離乳食。
子供は本当に美味しい美味しいと、おかわりを要求しますか?
保存料と着色料は使ってなくても、添加物は使ってますという裏を読めない。
コーラに何が入ってるのか調べもせず、
果汁飲料ならなんとなく子供に飲ませても良いんじゃないかと
パッケージに騙されて飲ませている親。
お友達とのメールのために携帯ぴこぴこしたり
別に見なくてもいいニュースやワイドショーを見る暇はあっても
めんどくさいから深く物事を調べようとしない。
与えられた情報を自分で整理することはあっても
自分からその情報を使いこなそうとはしない。
昔は定番だった、お見舞いにフルーツバスケット。
なぜ、あれが定番なのか知ってる人が1%もいるでしょうか?
楽して痩せる方法を調べて試すことはしても
そもそも自分の体質がどういうものかを
検査を受けて調べようとはしない。
なんとなく、なんとなく、なんとなく。
日本人は、ちょっと前まで頑張りすぎたんじゃないんですよ。
頑張り方を間違えたんですよ。
いい加減に気づきましょうよ。
ツイッターもフェイスブックも、ブログも、自分の人生も
使い方次第だって。
日本人は、いつまで貧乏人で居続けるのか?
ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。今日は6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。
幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。
ありがとうございました。
本当に必要なもの
つい先日、7月19日は佐賀県の調理師試験日でした。
この道に入って15年。今後のことを踏まえて、調理師の資格を取っておこうと思い受けました。
2ヶ月くらい前から、昼休みなどの合間を縫って少しずつやっていたのですが、資格の為にはじめた勉強もやってみれば面白いもので、食中毒や細菌に関する知識のほかに、食事と人間の体の関係について、栄養素と消化器の事など、なんとなく知っていたものがしっかりと身につくことが出来てとても身になりました。
肝心の試験結果は、、、、いつ発表だったかな^^;
まあ、自己採点しても8割くらいはとれていたので問題ないでしょう。
相変わらず、なんとなくの思いつきで行動する、よくもあり悪くもある僕の性格ですが、今のところ自分の甲斐性の中でやれているうちは大きな事もなくやれているように思います。
さて、今回大きな山を一つ終えたわけですが、もうひとつ僕の今後の人生を左右する山が残っています。
3年、いや、4年前だったでしょうか、今の店が有る程度軌道に乗った事もあり、新店を作りたいという気持ちがありました。もう、その時からどういう店にするのか、どんな商品をおきたいのかはもとより、そもそもなぜ新店を出さなければならないのか、そういう自分なりの答えを探しながら取り組んでいたのですが、当時の僕には単に店を出したいと言う純粋真っ直ぐ君な気持ちしかありませんでした。
そんな中でどんな店を作ろうか?を考えました。
自分たちは安くてうまい店なのか、高くてうまいこだわりの店なのか、どういう店を作ろうか、どういう商品を置こうか、どんな人がターゲットか、いくらくらいにしようか・・・・・・
もちろん店を作るときには数字のことも大事だけれど、はたしてそれが先に来て良い店は作れたとして、単に数字の良い店、売り上げは上がったとして、長年愛される魅力が有るのだろうか?一発屋で飽きられて、数年後には見向きもされなくなる店を作るつもりはありません。少なくとも、今の時代に求められる店を作りたいと思いました。
俺は、めんどくさい人間なので、その店を作る価値がなければやる意味もないと思っています。それを決めるときに俺がまず最優先で考えるのは、今の人たちが何を求めているのか、その中で水匠が活きるとするなら、水匠が必要とされるのなら、何をすべきなのかを考えます。
そんなに大した技術はありません。寿司職人のような技術もなければ、フランスに修行に行ったわけでもありませんし、誰かに師事して教わってもいません。唯一持っているものは、今日より明日はもっと良い店にしようと言う努力だけです。
そもそも、今回は水匠のように高価格帯の店ではなく、1000円程度で食べられる、高品質中価格の店舗を作ろうと思いました。
それはなぜか?
今の30代20代世代は正直あんまりお金持っていません。年配の人が法事を予約する時や慶事を予約する時はまだしも、若い人のお宮参りなどはやはり予算が少なくなってきていることに気付きました。水匠はやはり高い店なんだと言う認識を持たれています。もちろん、だからこそとっておきの店に使ってもらえるのです。
でも、小さな子どもとお祝いをしたい、でも、4,5千円もするレストランに行って食べる世代ではありません。回転すしに行ったり、そういうのがご馳走の世代です。そういう年齢の人にも、また、これから高齢化を迎え程々の値段で良いものを食べたいと思っている人の生活をも豊かなものにしていきたい。
安くておいしいものを出す店ではありません。
程々の値段で、高品質のものを、きちんと真面目に料理したものを、高齢者やアレルギーのある子供にも安心して食べられる、食材も分かっていて、保存料や添加物を使わない、嘘をつかない安全性・高品質の店にしたい。
そう思っています。
詳しくは、また。。。。。。